安保法制の廃止を求める 美術家総行動

賛同者の皆さんからのメッセージ

今、日本は、貧困問題に取り組み、教育・医療の普及に協力し、そして気候変動を押し留めるために尽力することによってこそ、世界に貢献すべきです。それが、結局、テロを収束させる最善の方策となるのです。
米国の戦争に参加し、軍需産業を太らせて武器を世界中にばらまくことは、我国周辺の緊張を高め、テロの業火(ごうか)に油を注ぐ結果にしかなりません。
日本は、憲法九条を遵守すること、真正の平和主義に立脚することを常に表明し続けるべきです。「世界の警察」の使い走りをして、若者の命を生贄に捧げなければ国連安全保障理事会の常任理事国になれないと言うなら、そんなものにはならなくとも何の支障もありません。
若者を戦死させない、世界の誰をも殺さない、そんな国と国民として尊敬と信頼を得るほうがよほど上等なことです。 (阿部 信雄)

長いこと、働く人々が絵を描く職美展の運動をしてきたので、僕は自由民権の追っかけを、作品でもやっています。15歳の植木枝盛は「戦ハ天ニ対シテ大罪」と書いています。
先の世界大戦の日本でも、キリスト者の灯台社とコミュニストなどが、少ないけれど戦争に反対をしました。
自由民権の憲法草案でも、植木枝盛案、五日市憲法草案はすぐれた民衆のもので、反戦・平和の考え方は日本にも脈々とあります。
アメリカのために戦争をする。そして武器輸出をするなんて、とんでもないことです。6人に1人のこどもの貧困など、税金は国民のために使うものです。 (阿部 正義)

戦争は物を壊し人を殺す。地震や洪水も物を壊し人を殺す。だがこれは防ぎようのない天災だ。しかし、戦争は人災である。人の力で防げないはずはない。ところが人類は科学技術の発達により戦争の大量破壊大量殺人をもたらした。このままでは人類に未来はない。どんなに時間がかかっても、世界中の人間が手をつないで戦争を止めさせねばならぬ。そのためにも日本人のわれわれが是非やらなければならないことは、憲法の改悪阻止である。特に九条は絶対に守らなければならない。 (池田 龍雄)

戦時中についての色々な辛い話は、多くの方が書かれていますが、私も十代二十代の青春時代を戦時の中に過ごした人間として現在の平和がどれだけ尊いものであるか身に沁みております。安倍政権の方針は一見ゆるやかなように見えますが、一つ許すと徐々に徐々に望まぬ方向に向ってゆく心配は、戦時の行方を考えれば充分懸念されることで、今、大きく反対を唱えなければと、非常に不安な気持ちです。熱しやすく醒めやすい日本人の国民性で、そのうち諦めて流されるのではと。ここは粘り強く行動する必要を切に感じています。ですが私自身は現在91才で、口で言う程、行動がともないません。若い方たちの良識ある判断と行動を切に期待しております。 (糸田 玲子)

戦争法案は、先の恐ろしい悲惨な大戦の犠牲の基に与えられた平和を、再び元の戦禍の世界に戻そうとする許せない法案であり、絶対に廃案にしなければなりません。
又、戦争は文化を破壊し、人間の心の豊かさを奪い取るものであり、これは歴史が証明しています。
我々は、平和憲法を守るためにみんなで力を合わせて立ち向かいましょう。 ( 美術九条の会 稲木 秀臣)

質問者に野次をとばすような品位に欠ける人物が、我が国の首相であることを恥ずかしく思うが、そのことを辛うじて我慢するとしても、憲法違反の疑いありとの圧倒的な国民の声に耳をかさず、ひたすら、武力行使拡大の法案成立に突き進んだことは許すことが出来ない。
この政権が、更に、この先に目指すものが何であるかを私たちは見きわめなければならない。
個人の尊厳など、どこ吹く風で、「決めてしまえば、後はついて来る」という傲岸(ごうがん)さの中に漂う余りにも危険な匂いに私たちは鈍感であってはなるまい。
次の選挙で、私たちは試されるのである。 (入江 観)

今われわれが直面している問題を、少し角度を変えてみるならば、アメリカとの関係構造の中に、すべての根があるとみることができる。要は、われわれの内なるアメリカの問題であり、ひいては日本人の自我論にかかわる問題である。
たとえば、われわれ日本人は、アメリカと向き合うとき、条件反射的に小児化する。その構造は、幕末から現在に至るまで変化はなく、不平等条約的関係構造の受容、沖縄における地位協定の問題、思いやり予算的対応などに、繰り返し現れてくる。それは、反復脅迫的、痙攣的な反応であり、安倍総理がアメリカの議会で、先取的に、集団的自衛権等の制定を約束してきたことも、同様の反応の現れといえる。
こうした、日本人固有の心性が、この国の自由と民主意識を危機に導こうとしているのは明らかだ。直面する心的危機状況を打開するには、対症療法的な政策では無理であり、全存在論的、全思想的に自己投入していく政治が待望されるが、無理かも知れない。 (遠藤 利克)

特にあらためて話す事はありませんが、人間の命に関する問題ですから真剣に真面目に考えましょう。単なるデモンストレーションに終わらず実効ある答えを掴みましょう。 (大西 弘之 98歳)

『おめいら…、一体何の相談しているんだ』とドスの効いた低い声で割り込んできた人を見て、一瞬身も心も冷めて散りぢりに。 その人は同じ町内に住む警察署の刑事でした。
久しぶりに、近所の同年代の三人が路地裏で偶然顔を合わせ、立ったまま、それぞれの中学校と期末試験の事、海軍予科練に志願した仲間の事から一番気になる同世代の女の子の話になると、急に明るい気持ちになって伸びやかに声も大きくなった時でした。当時は家族以外の女性とは話をする事もご法度な不自由な時代で、全てお国の為、女の話なども違法行為と錯覚していて、それがばれたような気がしたのです。
世の中全てが機密だらけで、戦争のニュースにまで機密なら、自分自身の中にまで機密を張り巡らせてしまうのです。機密を拡張して拡大解釈すれば民主主義を有名無実にすることができるのです。だから如何なる戦争にも反対してこそ、表現の自由が守られるのです。 (岡部 昭)

60年安保闘争敗北後の9月に花田清輝が「現代史の時代区分」を発表し、安保闘争の性格について言及している。その花田理論に対して、1964年に羽仁五郎と花田の対談「近代と現代」があるが、安保法制強行採決のいま、その論が新鮮だ。過去も現在も、これら戦争法は、対中国との戦闘を前提とした、アジアにおける前線基地としての日本の存在としてあること、世界的視野で見れば、日本はアジアにおいては中国の函数でしかないことが明らかだ。その視野を失って、安倍ファシズム政権が日々垂れ流す反中国宣伝にこころを奪われたとき、非合法に整備された法にのっとって戦闘が開始されるだろう。民主主義国家でのわたしたちの権利を主張し、安保法制を廃案に導くことが、わたしたち表現者に託された自由への道だとおもう。 (金山 明子)

この10月南京博物館を訪れた。日本軍の犯した暴挙、残虐、極悪非道の数々。ここでは日本語を話すことは禁止だ。情けなく、悲しく、申し訳なく胸が締め付けられる思いだった。日本は過去のあやまちを反省し憲法九条に守られ70年間戦争をせず平和を保ってきたことを話した。中国の画家達も両国お互いに戦争をしない平和に文化を通して交流していくことが大切なことだと確認し合いほっとした。日本は過去軍国主義まっしぐらにつき進み、間違った教育を国民に押しつけた。戦争にかりたてられた多くの日本人さえも被害者になりえたのだった。戦争は勝者も敗者も傷つくのだ。絶対に戦争は避けなければならない。 (上條陽子)

安保法制をさびた宝刀にしよう !
安保法案が可決されたことによって日本国憲法の精神が骨抜き状態にされようとしています。しかし、法案の反対運動に立ち上がった多くの国民の声こそまさしく民主主義の声であって、法案を強行採決した自民公明諸政党は今後深い禍根の思いを抱くであろう。政府はどれだけ国民の声を聞く耳を持っているのであろうか。国民の声よりアメリカの声を聞く売国奴的な政府に憤りを感じています。
そもそも安保法案を推進した勢力は日本国憲法が占領軍に作られた憲法であるから日本人の手で作るべき、自主的な憲法を作るべきと称していた勢力ではないのか。しかし、これらの勢力が日本人による自主的な憲法を作ると言うのはデマカセで、現憲法が徐々にアメリカの意向に沿わない憲法となって特に憲法9条が邪魔になってきたからこそ、カッコ付きの「自主憲法」を作れと言い出したのだ。彼らがアメリカの意向をくんで憲法9条をないがしろにしようと企んでいることが今回の安保法案の強行劇を見てもよくわかる。法案が通ることを先にアメリカに約束したり、例として挙げられる場面がアメリカの後方支援ばかりです。
一方、右翼はこの法案を賛成だと言いはなってはばからない。日本の国のことを思う純粋な右翼であればアメリカのしっぽについて日本国旗を振る事が日本の恥だとおもわないのか。多くの日本人がデモや集会をして自分の意思を表明したことを日本の自主的な純粋な意志とは思わないのか。
法案が通ったからといって我々が負けたわけではない。今後、この法制を実行させない政府を樹立したり、法制を廃止させる政府を樹立することが憲法9条を守る新たな戦いになるだろう。安保法制を可決した勢力にとってこの法制はさびた宝刀にしなければならない。 (貴志 カスケ)

9条美術の会が事務局となって「安保法制の廃止を求める美術家総行動」を企画し大勢の美術家に呼びかけた結果、賛同表明や署名等が多数寄せられつつある事は、如何に時の改憲勢力に対する、反対、抵抗が強いかが見えた事です。一層、優れたアートを創作し、鑑賞する方々へと賛同を広げていきたいものです。
昨年(2014年7月1日)の戦争法の閣議決定や、2015年9月19日の参議院での強行採決は絶対認める事は出来ない。危機の時代を認識する日本美術会総会でも安保法制の廃止を求める特別決議を採択し、署名行動に取り組みました。今こそ改憲勢力の戦後レジュームからの脱却の野望を打破する必要を強く感じるものです。強行採決されてもこの運動の中から野党の団結を求める良い動向に今後も注目したいし、その成功を期待するものです。 (鯨井 洪 日本美術会代表)

国民の三分の二が反対したにもかかわらず、国民の声を無視して安保法案が可決されてしまいました。 心から怒りを覚えます。安倍内閣の危険性に国民が気づくのが遅すぎた観があり、とても残念に思っています。この頃の日本の政治は、おかしなナショナリズムに傾いているなと肌で感じていましたが、国益の為にやらねばならない事をはき違え、原発の輸出、武器の輸出までも可能にしてしまいました。世界の平和を守る為には、とにかく外交に重点をおき、会話を重ねる事です。世界で生きる環境が違っていても、家族の死に対する悲しみは共通する事です。戦争は殺戮と破壊以外の何ものも生み出しません。現代の戦争は殺した相手の姿を目にしないで済みます。殺した相手にも家族が居ていろんな可能性をはらんでいた事に気づいてもらいたいのです。
繰り返しますが、戦争とは殺戮と破壊です。来年の参議院選挙では賢い国民の姿を選挙結果で見せてあげたいと思っています。 (栗原 幸彦)

先の「安保法案」強行採決や原発再稼働に象徴されるように、憲法と民の声を無視するかのような安倍内閣の強引な政治手法に強い不安を感じています。これは憲法を空洞化させ、金権まみれの「強者」の無法と暴力をのさばらせるクーデターにほかなりません。
日本はいつから「強い国」と経済的豊かさばかり追い求めたがるこんな方向に舵を切ったのでしょうか。辛くも戦死を免れた父、そして戦後に生まれ「戦争を知らない子供達」の一人としてまことに自由に生きてきた私は今、暗たんたる気持ちになるのです。
現在、平和憲法の理念がこの日本に根付くのか、あるいは自由な表現が抑圧されてきた戦時下のような暗い社会につき進んでいくのか、その分岐点にあると思います。
多くの画家達はとかく政治的会話を好みませんが、それぞれ鋭い皮膚感覚で安倍内閣の見せかけの言葉や独善性を見抜いています。
もう口をつぐんでいる場合ではない。私も微力ながら一画家として〝戦争させない〟〝原発を止めさせる〟為の声を上げていく覚悟です。 (小久保 裕 独立美術協会)

1941年1月の「みづゑ」誌上で、瀧口修造は「閉まっている窓があったら、ひらいて空気を入れようではないか」と周囲の美術家たちに呼びかけた。(「美術文化協会展に就て」)。同じ号に掲載された座談会「国防国家と美術」に衝撃を受けた松本俊介が「生きてゐる画家」を寄稿した4月には、瀧口自身、みせしめとして検挙される。松本は沈黙を選び、太平洋戦争下の崩壊の淵に立つ都会風景を描きつづけた。彼らの言葉や表現は現実の前では無力であり、多くの若い作家たちが戦没した。だが、彼らは破局へと向かう時代のなかで芸術の思想の水路を切り開こうとしたのであり、そのことを、今、受け継がなければ、私たちは、死者たちと、そして私たちの未来をともに歴史の闇に沈めてしまうことになるだろう。「敵が勝つならば、敵を前に死者たちさえも安全ではない」(ヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について』1940年)のだから。 (小沢 節子)

夢ばかり追っている絵描きと、理想を掲げて現実ばなれしていると批判されている、日本国憲法九条の精神は似ているのかも知れない。
20世紀前半のアジア近隣諸国への侵略の時代から敗戦まで、数え切れない程の戦争犠牲者を出してしまったことへの悔恨と反省から、国民のほとんどが望んだ平和憲法だったはずです。先の大戦で我家から出征した二人の兄弟も、二度と帰って来ることはなかった。
天変地異や、地球温暖化による大災害、戦火を逃れた難民たち、世界の至る所で助けを求めている人々がいます。積極的平和主義の旗はこういう所で掲げてもらいたい。軍拡競争には際限がありません。
海に囲まれた日本列島は四季折々の美しい自然と、長い歴史の中で、世界に誇れる独自の文化を育んできました。政治の世界でも私達国民が誇りを持てるような政治を実現したいものです。 (小菅 光夫)

子供達に大きな夢と明るい希望を!! (笹戸千津子)

戦争法案の根絶を!!
私は太平洋戦争突入の1941年、青森市の港町に生まれた。1945年7月、青森も空襲を受けて家は焼失し、総て無となった。疎開生活を繰り返し、貧困生活を強いられた。小学校の頃は、鉄くずを拾ってくず屋に売り、ノートを買った。生活保護も受けた。戦後、日本は平和憲法の下で何とか復興して七十年。世界で唯一〝戦争しない国〟を誇りとし、人々は日々の生活を送り、絵も描くことが出来た。安倍政権はその平和憲法を踏みにじり数の力で安保法案を通してしまった。そして広島、長崎に原爆を落として、日本の国土を焦土にしたアメリカと一体となり、今度は他国での戦争にも加担するという。戦争にかりだされた自衛隊員や徴兵された人々は戦地で殺し、殺される。又、報復される時、当然日本も標的になる。再び日本は戦争による悲惨な生活に追いやられないとは誰がいえよう。もう戦争はいやだ。絶対に戦争をしてはいけない。戦争法案の根絶を!! (佐藤 善勇)

戦争を体験した世代の人が、どんどん少なくなっています。僕は1930年生まれなのでいま85歳です。“戦争の愚かさや虚しさ”を嫌というほど知った人々が、戦後にやっと手に入れた憲法には、その主権は国民にあり、『第9条』に『戦争の放棄』が明記されています。ところが、「今の国際情勢下では、国の安全を守れない」と主張する安倍政権は、『戦争法案』を強行採決し、『第9条』の存在を消し去ろうとしています。どんな名目にせよ“戦争に巻き込まれる危険な道”へ足を踏み込んだら、もう元には戻れません。“過去の歴史は、未来への予言だ”という言葉は、本当です!
日本を崩壊させる危機をもたらす『戦争法案』を阻止するには、安倍政権を退陣に追い込むことしかありませんが、いま安倍に賛同している政治家の名前をハッキリ記憶し、次の選挙では絶対に当選させないことです。 (妹尾 河童 舞台美術家)

戦後70年続いた平和は今の憲法のお蔭であり、その憲法を無視して、憲法違反を承知の上で、安保法制を成立させてしまった安倍内閣、及び自民党公明党は許すことは出来ません。何としても、安保法制廃止のために今こそ立ち上がりましょう。 (髙山 仁志)

湾岸戦争で自衛隊の掃海艇が派遣されたのは、1991年のこと。私が学生のときで、戦後初の海外派兵であった。翌年にはPKO法が成立し、国際貢献の名のもとに自衛隊の海外での活動は常態化していった。1999年には,日米ガイドラインにもとづく周辺事態法が成立、米軍の後方支援が自衛隊の任務に加えられた。その後、米軍によるイラク戦争があり、2003年にイラク特措法が成立、復興支援の名のもとに自衛隊が紛争地へ派遣された。
このように日本は、四半世紀をかけて海外派兵の既成事実を積み重ねてきたのだ。思い返せば、ここにいたるまでの道のりは決して短くはなかった。歴代政府を慎重にさせてきたのは、憲法九条の力によるものだ。だが、安倍政権はこれまでの海外派兵を本当の戦争へと引きずり込む危険に満ちた安保法制を強行に成立させてしまった。これは憲法に対する挑戦である。一貫して日本の海外派兵を批判してきた人間として、断じて許すわけにいかない。 (武居 利史)

これまで政治に無関心だった若者がサァッと動いたのが救いです。願わくば、今度の事で敗けたと思って再び無関心にならないよう。私はもはや83才、君たちの粘り強い闘いを祈ります。安保法は破防法と同じく、使えないものにするよう。九条は日本のものだけではなく、全人類のものです。 (辻 惟雄)

武器の進歩は増々進み、そのことが増々戦争を起こし易く、起こり易くなっているのは、かつての比では無いと聞きます。あいも変わらず世界のどこかで戦争を続けているアメリカとの関係をより蜜にするこの法案は、日本人にとって不安そのものです。かつて湾岸戦争の時、日本の自衛隊派遣要請に傾き決定した折、「蟻の一穴」の譬えにより踏みとどまることになったこと、見識ある政治家、後藤田さんの存在を思い出します。この法案はもっともっと議論されるべき、すること、そして反対であることを望みます。
日本人の賢い知恵は、力の戦いに与する合理主義的な考えではありません。私たちは敗戦という経験と共に自然の無常観をよく知る、自然とともに生きてきた日本人ならではの立ち位置とその知恵を今まで以上に発揮し大切にしたいものです。 (土屋 禮一)

テレビを見ていて、安保法案があの様な国会運営にて決定いたした事は日本人全員の大恥だと思う!!
国民がもっとしっかりと市会議員、地方議員、国会議員を選び出さねば、今回の様な状態が続くのだ。国家感を強調する政府はあぶない。ドンドン傾いて行き国と国のぶつかる戦争へと。
まず軍隊を前に出すのではなく外交官、政治家がもっと頭を使って、仕事をしてください!! その様な人物を国民が育成すべきだ!!
人間の殺人本能、その衝動は無くならぬかも知れぬが、国家間の殺人である軍人による戦争は無くさねば、軍事産業は潤うが、被害を受けるのは国民である。戦後70年間戦争をしなかった国として、この九条をよりいっそう力強く全世界に広げ「人は人を殺さず、殺されず」と訴え続ける国民でありたい。 (出店 久夫)

安倍晋三という日本の首相は、日本の平和憲法を無視して≪安倍憲法≫の戦争憲法に改憲、わたしたちの日本を、アメリカの言い成りになって滅ぼすつもりらしい。かつて満州事変を惹きおこし、中国に侵攻、日中戦争への導火線に点火した日本軍を手助けた祖父・岸信介のDNAを受け継いだのだろう。
中国やロシアの強敵に対し、アメリカも日本も勝ち目はない。喜ぶのは、中国やロシアだろう。いつでも、どこからでも、かかって来い。北朝鮮が観戦することだろう。
古代ローマにラテン語の格言がある。「戦争のあいだ、美神たちは沈黙する(Inter arma silent Musae )」。 (編集者注)パソコンでラテン語が表記できず、一部英字表記になっています) (林 紀一郎)

私はいまの憲法は、国家や国民が生きてゆく上での理想に近いものだと思い、こと九条はいかなることがあっても変えてはいけないと思います。あらゆる物資の乏しいこの国が生きてゆくには、徹底して平和を世界に主張して、武力ではなく、あらゆる場合に外交によって話し合って存在を示してゆかなければならないと思っています。絶対に戦をしない国として声を大きく世界に発信してゆくことが何より大事です。
アメリカとは国の富が違いますし、残念ながらいまの日本よりは民主主義が徹底しています。基本的に豊かであるために尊大なところはありますが、やはり民主主義の国として成熟しています。しかし日本は中国、韓国を中心とする東南アジアや諸外国と経済的な交流と外交の交流を第一義にして生きてゆかねばならないのではないでしょうか。
いろいろと問題はあるでしょうが、いまの憲法を国民の全てがしっかりと身に体してゆくことが大切だと思っています。 (林屋 晴三)

一つの時代の一内閣が、自分の都合にあわせて憲法解釈するなどとは、とんでもない思い上がりで、主権在民を蔑ろにした恥ずべき暴挙である。不戦こそ〝自由と平和″の根幹であるべきで、それを具現化することにこそ政治家の存在意義がある。確かに選挙によって選ばれた代表ではあっても、衆愚政治は時に道を誤ってしまう。その事を肝に銘じ、数の論理だけではなく、知性や理性、感性を大切に、聞く耳を持たなくてはならない。愚を知り、恥を知る者こそ賢者といえるのではないか。目先の経済に騙されてはいけない。
世界に誇れる日本の憲法は、愚かにも道を外してしまう者への戒めと指標になる存在である。決して押し付けられただけではない、この憲法から逸脱した今回の安保法制は「一盲引衆盲」の図式となっている。「何処へ」行こうというのだろうか。五十年後、百年後を見据えた見識を願っている。 (半田 強)

すでに進行中の〝翼賛美術″。 デパートの個展やメディア鳴物入りの紹介展で、何と「日本武尊の東征」を浮かれ気分で華々しげに描く受勲人気油絵画家。会場で安倍政権キーパーソンのひとりと歓談(?) の光景に忌まわしさを覚えたのは筆者だけか? 資金洗浄問題も絡んで保守政治家が美術を利用する悪しき構図は昭和10年代の国粋調鑑賞画が売れまくった時代と軌を一にする。日本画にも油絵にも彫刻にも幇間習性がつけ込まれ、安保法制を是とする風潮に警鐘を鳴らしていくべきだろう。(日夏 露彦)

我々絵描きも若者に負けないで九条を守るぞ!
私たち物作りは、世の中の動きに敏感でなければならない。そのことを私は常に頭の中に置いています。政治とは日常生活そのものであるからです。
この間の参議院安保法制特別委員会は9月16日中央公聴会を、翌日は地方公聴会を開催しましたが、採決を前提に締めくり質疑、公聴会が開かれた報告記述もなく「戦争法案」の採決が強行されました。国会が国民の声を無視した暴挙です。独裁政治そのものです。
憲法九条の平和主義、立憲主義、民主主義を守ることが、私たちの表現の自由を守ることに繋がります。自分の頭で考え、我々絵描きも若者に負けないで「安保法制の廃止」を実現しよう。 (福岡 幸一 北海道九条美術の会)

安倍政権は9月19日、戦争法を強行採決して間もなく「一億総活躍推進室」の設置を打ち出し、担当大臣も任命しました。一体、何を目指して全国民の活躍を推進しようというのでしょうか。曖昧さの内にかかえる怪しさが気になります。
敗戦を中学二年で迎えた私には、戦時中の大政翼賛会が先頭を切って、国民の頭の芯に叩き込んだスローガン「一億総動員、進め!一億火の玉だ!」を、電柱や塀にはられた貼紙を、思い出します。その黒々とした国の暴力が網摸に残っています。
「一億総活躍推進」はまるで「一億総動員」の鏡像のように見えてしまいます。「動負」を「活躍]に置き換えれば、安倍の言う「一億総活躍」になってしまうのですから。
これは安全保障関連法が戦争法そのものであることを、自ら垣間見せてくれたと言えます。
個人の尊厳と自由、文化・思想・表現への時代錯誤の挑戦だと思います。黙視できません。 (古澤 潤)

表現の自由のため、国家への徹底した不服従を 安倍政権はウソとごまかしで安保法制を成立させ、独裁国家の道を歩み始めた。今こそ徹底した不服従の覚悟が求められていると思う。国民の何割かが非協力と不服従を貫けば、国家が簡単には戦争突入及び継続はできない。表現の自由とは、いかなる権力にも屈せず、また強制にも従わず、自らの表現を貫くことにある。そこに命を懸ける決意を新たにしたい。 (前山 忠)

先の日本の戦争は、画家たちの生命を奪い、画家たちの作品に傷跡を残した。戦場に倒れた画家も銃後を守った画家も、「戦争画」を描いた画家も描かなかった画家も、戦争の時代を生きなければならなった画家たちは、誰もが無傷ではいられなかった。
戦争は何も生み出しはしない。ただ戦争の時代を生きた画家たちが、苦難のなかでわずかな作品を残すことができただけである。
平和であってこそ、画家たちは自由に生きて、豊かな芸術が生まれる。戦後70年、日本の現代美術は憲法第九条の精神とともに歩んできた。
新しい戦争の時代を生きなければならないような事態を迎えないために、いまこそ一人ひとりの声を合わせていくことが求められている。 (山田 諭)

私は戦争を知りません。
私の父は戦争に行きましたが、戦争について話してくれませんでした。自分が生きていることが、どれ程の苦痛であったか計り知れないのです。戦争は絶対に反対です。ひとりの人生を奪う権利など誰にもありませんし、「総」のもとに「個」を失うことなど決してあってはならないのです。
今も世界のどこかでテロや戦争があり、多くの人々の大切な尊い生命が失われているのです。戦争の連鎖の日々は続いてエスカレートしています。
安保法制を心なく成立させた方々、戦争に行ってみて下さい。それからもう一度考えて下さい。一つの入り口を緩めればあっという間に戦争への道が開かれます。少しでも懸念があるものは止めなければなりません。日本が世界に誇れる憲法九条を守り、日本、そして世界の未来ある子供や若者たちが平和で幸せな日々が送れるように行動したいと考えています。 (横田 瑛子)

安倍自公政権は、解釈憲法という姑息な手段で、しかも数の論理で強行に、戦争法案を採決してしまった。これを廃案にするには、野党間で選挙協力をし、数に対しては数で勝利しなければならないだろう。
そのためにはとりあえず〝国民連合政府〟を樹立して戦争法案を廃絶し、そのあとで真剣に、これからの国の方向について議論してはどうだろうか。その場合、諸悪の根源である安保条約を白紙に戻し、アメリカと対等な関係にしなければならないのは、いうまでもない。そうしなければ、戦後以来つづく〝アメリカ合衆国日本州〟的現象は、これからも覆ることはないのではなかろうか。 戦後、70年。戦後は、依然としてつづいている。天皇制に深く関わるアメリカの基地が、日本各地に存在する限り、戦争の火ダネとならなければよいが、とても不安だ。 (ワシオ トシヒコ)